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大会参加レポート

TEAMアティックの 大会参加レポート

リベンジ!ツールド沖縄

10月11日
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いつの頃だろうか。沖縄を目指そうと思ったのは。自転車に再び乗り出したのは、つい1年半前。去年の春のこと。ハワイでセンチュリーランが行われていることを偶然テレビで知り、『家族で参加してみようか』と思ったのがきっかけ。海外旅行といえば、タイ、ベトナム、カンボジアなどで、偏っている!と家族には不評であったのだ。『ヨーロッパに行ってみたい!』という家族の願いに対して、君たちみたいなミーハーにはつき合えないと言いつつ、実はお金も暇もなく無理だよなあと思っていた。

しかし、ハワイならなんとかなるかも…。そしてどうせ行くのなら、自分の楽しみや、効果も加味してと考えたのである。
ハワイのセンチュリーランを目指せば、家族の楽しみを追いつつ、自分にとって減量もできる。体重も当時、90kg前後もあったのだ。

出場までは決して平坦な道のりではなく、交通事故にあい、むち打ちとなり自転車に乗れない日々が続いた。その時は歩いたり、軽い登山をしたりして体力アップと減量につとめた。モチベーションの維持のためにオホーツクセンチュリーランに親子でエントリーしたり、昔、本州にいた場所で行われるサイクルイベントを目指したりした。また職場では、ハワイで160kmを8時間以内で完走すると宣言をした。(当時の私にとって、これはかなり高い目標だったのだ!)

そんなこんなで迎えた当日、なんとか7時間ほどで完走できた。しかし、とても景色などを楽しむ余裕もなく、休憩もほとんどなし。そのため、ハンガーノックになりかけたり、脚が攣ったりと散々だった。そんな中で、余裕をもって、かなり格好良く、私を追い抜いていったロードレーサーの集団があった。その集団と一緒に走ろうとして、2、3分だけは一緒に走っただろうか。しかしすぐに、再び脚が攣り、残された。離れていく集団。いいなあ、あんな集団の中で走ってみたいなあというのが、思えば沖縄のはじまりだったような気がする。

それからは、常時、時速30km以上の速さで走ってみたいというのが、一つの願いになった。(当時は時速30km以上になるのは下りや、よっぽどの追い風のときだけだったのだ)
そのためには、目指すものがほしい。たまたまサイクル雑誌で見かけたのが、ツールド沖縄だったのだ。よりにもよって、ロードレースをはじめてもいないのに、ロードレースの甲子園とも、最高峰とも言われる沖縄を目指そうとしたのが、間違いのはじまりだったのかも??

ロードレーサーでしかできない走りがしたい。沖縄に出場して完走したい。その願いは、膨らんでいったが、そのためにはどうしたら良いのか。おりしも北海道は冬をむかえて、外ではトレーニングができない時期となってしまった。室内でローラーをこいだり、2時間から3時間外を歩いたりする試行錯誤が続いた。

今年の1月になり、どうしても我慢ができなくなり千葉県の富津で開催された6時間耐久のクリテリウム形式の大会に出場した。先頭集団の常時時速35km以上には一度も乗れず、時速32kmほどの第二集団で走っていた。その集団とも4時間ほどで、ちぎれてしまったが…。しかし、ある程度のスピードで走れたことに満足できた大会だった。

その後も、春先のヒルクライムの大会に出たり、北海道のブルベに出たりして、とりあえず目先の大会をめざすことによって、実力をつけていこうとした。

しかし、今年もっとも自分の力になってくれたのは、現在私が入っているチームの力が絶対的だ。今年の春に入ったチームは、実力をつけるためだけではなく、精神的にも大きな支えになってくれた。そして、様々な職業の方が、様々な年齢の方がおり、自転車だけではなく、そのほかのことでも学ぶことは多かった。一生おつきあいできる仲間ができたことは大きい。

今回の沖縄の直前でも、多くのアドバイスをいただいたり、すでにシーズンオフにもかかわらず、朝6時からの朝練につき合っていただいたり、膝痛を抱えているのに沖縄一週間前の日曜練習会で限界近くまで負荷を上げて一緒に走ってくれたり、沖縄に入っても当日まで電話やメール等で励ましてもらった多くの仲間がいた。本当に感謝、感激だ。

今年は、そんなチームの一員として、北海道のレースにも参戦した。小中高時代に運動では一度も表彰された記憶もない私が、いきなりはじめて参戦した大会で優勝して表彰されたり(5人の中であったが…)、その次の日には先頭集団についていけずに、ひどく落ち込んでみたり。その悔しさで、トレーニングを続け、またその次の大会では入賞できたりと。アップダウンの激しい一年を体験させてもらった。

いつしか沖縄で完走したいがために入ったチームが、チームで走ることが目的にと大きく変化していった。そんなチームの一員として迎えた沖縄だったのだが…。

11月9日金曜日、大会の前々日。いよいよ沖縄に向けて出発。10月からもう一度、調子のピークをつくるよう、やるだけのことをやった。10月は、およそ走行距離が2000㎞。それもメリハリをつけ、休養日と負荷を上げた短距離走の日と長距離走の日をバランス良く。少し右膝に痛みがあるが、それも寒くなってきてから出てきたものであるので、沖縄に行けば治るだろうと気にしないようにした。
出発の前日に、チームのボスから電話をもらった。『前日はあまり走らないように。最初からとばさないように…』 さすが、私の性格をわかっています。ありがとうございます。

9日昼前千歳発なので、前日からゆっくりと準備をする。何回か飛行機に自転車を持ち込んでいるので、荷造りには余裕がある。飛行機用の輪行袋で、前後のホィールをはずし、もしものためにお風呂用のマットを2つに切ったものを間にはさむ。リアディレイラーも、梱包用エアーキャップで包む。空港では、自転車に万が一何かがあったときに航空会社の免責に同意をするサインを書かされるが、毎回これは緊張する。何もないようにと、半分祈るような気持ち。いつものように、上積みはしないでほしいとお願いをする。

沖縄の那覇空港には、午後3時ごろに到着した。那覇空港に着いた直後に、チーム員からのメールを受ける。『チームの代表として…』という箇所を読んで、思わず武者震い。それからすぐにレンタカーで、高速に乗り、名護市をめざす。途中のサービスエリアで食事をすませ、当日までの宿泊場所であるプライベートリゾートオクマに直行する。
できれば金曜日に少しでも走っていたい。大会前日は、あまり負荷をかけたくなかったので。しかしチェックインをすますと、すっかりと日が暮れてしまっていた。あきらめて、体育館みたいなところで、自転車を組み立て、近くのコンビニまで試走をかねて走った。よし、大丈夫。自転車に不具合はない。その後、大浴場でサウナに入り早寝をした。

前日、体を慣らすこともあり朝5時に起床。しかし、まだ真っ暗…。7時前にホテルを試走のため出発する。なるべく午前中に動かなければ、前々日から現地入りしている意味がないとはりきる。同じような事を考えている方は、いらっしゃるようで、ホテルの駐車場で、ローディ2人組の方とご挨拶。市民130kmのスタート地点である国頭の道の駅に移動する。午前7時ジャストに道の駅をスタート。その直前に、その2人組の方が目の前を通り過ぎる。私がその後方を走ることとなる。少し遠慮して、離れて走ったが、5km過ぎの普久川ダムの上り口のところで、前の2人組がスピードを緩めたので、抜き去り上りだす。調子は悪くない。心拍数の80%弱で上っていく。あれ、こんな道だったっけ?など、よく観察をしながら。

実は今年の3月にも一度沖縄に来て、試走している。その時のイメージとだいぶ違う。あのときは雨が降っていたし、今よりも体力がなかった。しかし、それだけに負荷をかけずに、無意識にゆっくり上ったらしい。前半の緩い勾配だけが印象に残っていて、後半のきつい部分の記憶が、すっぽりと抜け落ちていた。けっこう後半、時速20kmの後半から上で上ろうとするときついのだ。先頭集団は、時速30kmくらいで上るだろう。それに、ついていけるのか…??そんなことを考えていたら、後ろから先ほどの2人が来た。少し会話をし、私もダンシングを混ぜながら2人のペースにあわせる。しかし心拍数が170拍に上がっている。『いかん~。ボスに言われているのに~。』とペースを緩める。しっかりと2人には引き離されてしまいました。
頂上付近で、そのお二方とお話をさせてもらったが、今回はじめての参加で、市民85kmにエントリーしているということを聞いて、すっかり自信をなくしてしまった。『大丈夫か~俺??』
(後日、85kmのリザルトを見ると、そのお二方が完走250人中、およそ30位に入っていました。ご苦労様でした!)

その後、ホテルにいったん帰り、今度は車に自転車を積み、普久川ダム~高江~平良~源河~名護市と走る。思った通り、普及川ダムから高江までのアップダウンがポイントだと感じる。この区間をいかに失速なく走りきれるかが、一つ目の関門だろう。今の私にとっては作戦うんぬんではなく、この区間で全ての力を使いきるつもりで走らなくては…。

その後、名護市で受付をすませ、その駐車場に車をおき自転車でリゾートオクマまで走行した。ほとんど平坦で距離も30㎞程度なので、明日に向けてのちょうど良いアップになるだろうと思っていたが、いまだ経験のない向かい風で、閉口した。この時期の沖縄の北風はすごいです。前半部分は、いっしょに走ったローディの方もいて、はりあうようにして。後半は一人旅で、さっぱり前に進まず。何か押しもどされるような感じ。けっこう脚を使ってしまった。特に右膝が重たい。本当に頭が悪い…。どうしようもない…。しかし、会う人、会う人すごい人ばかり、さすが沖縄だなあと感じました。
ホテルに着いたら、チーム員からの電話とメール。私は本当に恵まれていることを実感した。さあ、あとはやるだけだ!!

11日大会当日、朝5時に起床。脚に多少の疲れは残っているが、痛みがあるほどではない。大丈夫だと自分に言い聞かせる。ホテルでゆっくりと食事をとる。このホテルは、景色も良いし、食事もおいしい。一人で過ごすには贅沢すぎる。今度は家族を連れてきたい。
自転車は、前日から整備をしていた。各種チェックをし、注油をし、タイヤを布で拭き、切れ目等がないかを確認した。札幌出発直前にタイヤにわずかなヒビみたいなものを発見し、その20Cのタイヤをあきらめ、現在一番信用のおける23Cのコンチネンタルのタイヤに交換してきた。(しかし、このタイヤ交換が裏目となってしまった)

朝食をとった後、リゾートオクマの駐車場で荷物を預ける。まだ夜は明けきれていないが、続々と大会関係者や出場者が集まってきている。巨大なトラックから自転車が次々と搬出されている。また50人乗り以上の大型バスが4台ほど見られる。そのバスの前には収容車と書かれた幕が張ってある。『あのバスに乗るのだけは、嫌じゃ~』 朝からへんなものを見てしまった…。

自転車に乗ってスタート会場である国頭の道の駅へ。スタート確認票を一番で入れ(最初に入れてもあまり意味がないのね…)、アップへと向かう。あいかわらず、北風が強い。もう少しアップをしていたかったが午前7時を過ぎ、自転車を並べだしたので自分も終了し自転車を並べる。前から5列目で40番目くらい。理想的だと思っていたら、なんとスタート待機場所は違った所で、そこまでの移動で全く無駄でした…。

スタートは8時半過ぎ。ここからの1時間以上が長い。しばらくするとヘリコプターの音がして、チャンピオンクラスの先頭集団がやってきた。その集団が通り過ぎた直後に、市民130kmもスタート待機場所に移動。300名ほど。ジュニア国際がスタートした後に、いよいよスタート地点に移動する。私は前から80番目くらい。今回実は秘密兵器を自転車に装着している。それはGPS、これで全ての記録がとれます。どこで手を抜いたかも…。隣の方と、そのGPSの話をしながら、スタートを待つ。嫌な緊張感はない。『スタート2分前です』のアナウンス。右足をクリートにセットする。いよいよだ!『パーン』というピストル音。

ゆっくりと大集団が前に走り出す。ここから与那までは平坦の5km。しかし北風が強いので、大集団のまま様子見の走りとなる。時速30km前後しか出ていない。大集団はブレーキを繰り返し、まったくリズムに乗れない。道いっぱいに広がり、なかなか前には行けない。そのうち『ブレーキー!』『オイー!』の声があちこちから掛かる。前の人の背中が急に迫る。危ない~。そしてトンネルに入り『落車~落車~』の声が。ヒェー、恐すぎる。

いかんなあ。かえって後ろに下がっているような気がする。もう平坦が終わってしまう…なんとか前に行こうとする。80番目くらいに戻したところで、大きく右に曲がり、いよいよ普久川ダムへの上りに入る。上りに入り、逆に集団のペースが上がる。縦に長くなったようだ。前の選手を一人一人、パスして、先頭に近づいていく。ようやく40番手くらいにつけ先頭が見えだす。『よし、くらいついていこう!』 ここからは我慢の走り。力を出しきるのは、もっと先だと考えていた。この位置にいれば、万が一、中切れしたり逃げ集団がでても必ず奥のアップダウンか辺戸岬以後の西海岸で追いつけると、過去のレース展開を調べ、考えていた。そして2回目の普及川ダムの上りでは、今よりももっとペースアップをして、まず先頭集団にはついていけなくなるだろう。しかしそこでなんとかまわりに触発されつつ乗りきり、その後の高江までの気が遠くなるようなアップダウンの繰り返しで力を出しきれば、100番以内にはいくだろうという考えだった。結果的にこれがミスだった。なぜなら自分は下りが異常に遅かったのだ!!(この時はそれに気がついていない…)

心拍数は170前後で、まだ余裕がある。(チームの皆さんありがとう。180拍以上で競り合ってきたおかげです)
上りきり、補給地点を過ぎる。まだ飲料は充分にあるので、パスをして、分岐を左折して下っていく。しかし、前との差がみるみる広がっていき、見えなくなってしまう。それと同時に後ろから何人にも抜かされていく。そのうち、大集団が後ろからやってきて、飲みこまれる。私のいる集団は少しまったりペース。う~ん先頭集団に追いつけるかなあと少し焦る…。
特にちょっとした上りでも遅くなる。私と同じように考えていた人が2~3人ほどいたようで、その人たちといっしょに、上りで先頭を引いてみる。しかし後ろがついてこない。私を含め3人が飛びだすような形になってしまう。そんなことを緩いアップダウンで2、3回繰り返し、私もいったん集団内にもどる。一人だけが集団から30mほど前を走っている。

これは、『みんなで先頭を追いかけませんか』と言った方が良いかなと思っていた矢先、私の前の人が、上りのためか、何回か右に左にと蛇行した。危ない!と右にハンドルをきりセンターラインをこえ『まっすぐ走ってください』と声をかけ、また集団の前方に出た。その直後に私の前方から、、『シューシュー』と音がしだしました。

『え、嘘だ。絶対に気のせいだ。俺じゃない~』と思って走っていましたが、ハンドルが次第に重くなる~。茫然自失で止まりました。自転車から降りて、後ろを振り返って右車線に行こうとしましたが、そこに集団が来ました。みなさんびっくりしているよう。上りでしたので、かろうじてよけてくれました。私は声も出せず、情けない顔をしているだけ…。ご迷惑をおかけした皆さん、どうもすみませんでした。<(_ _)>

右車線のガードレールに移動しながら、『まさか、これで終わってしまうのか。1年かけてやってきたことがこれでおしまいなのか…。何と言えばよいのか…』、越していく集団に笑顔をつくり『がんばってください!』と言いながらも、頭の中は混乱していた。
それから130kmの青ゼッケンの集団を2グループ見送り、とうとう200kmの緑ゼッケンの集団がやってきて…。3グループ見送った…。200kmのある方から『パンクですか?水余ってない?』と言われたときに、なんの躊躇もなく『ここにありますよ~!』と言っていた。結局、タイミングが悪く渡せなかったが、止まってから10分も過ぎ、自分の中では完全にこのレースをあきらめていた…。

現在スタートから約31km地点。すでに、スタート後1時間から刻一刻と過ぎている。高江まで、あとおよそ60㎞…。高江の関門はスタートから3時間後に閉まる…。最悪としてみて、あと1時間30分…時速40km平均…。とても無理だ。

そこに本部の車が来て、若い人が降りてきてくれた。『パンクですか?前ですか、後ろですか?』。『ま、前です!前の10速です!』(10速は関係ない。だいぶ混乱している)。すぐホイールの交換をすませ、その若い人は私の背中を押してさえくれた。坂であったので、助かりました。ありがとうございました。

しかし私の中では、もう無理っぽいなあ。これからもう一度普久川ダムの上りを越えるのかあという思いも正直に言えばあった。一度切れたスイッチを、もう一度つけることは本当に難しいと感じた。

とりあえず、前を追いかける。しかし、なかなか追いつかない。奥の集落に入り、応援してくださる人の顔が目に入る。去年宿泊させてもらった宿のご主人もいたような気がした。
ようやくスピードに乗ってきた。何人かをパスしていく。そこに後ろから200km組の集団がやってきた。たぶん第四集団くらいだろう。200km組は例年完走は150人くらい。だとしたらこの集団の良くて半分くらいが完走するかもしれない…。この集団になんとかついていければ…。と一瞬考えたが、やはりついていくのはやめた。

その理由はモチベーションが低下していたこともあるが、それよりも大きかったのは、このチームジャージを着ていたこと。ボスをはじめチーム員全員が、私をチームの代表として送り出してくれた。
ツールド北海道の前にもよく言われていたのは、他のクラスの集団に乗ったり、他のクラスの試合に影響させるようなことをしてはならないという教えだった。また、きちんとローテーションをして、きれいなレースをしろ!ということだった。チームのボス、リーダー、魔神さんと言われている方をはじめ全員が、レースを楽しみ、レースをできればつくり、積極的なレースをしようという雰囲気で満ちあふれている。
(ちなみに私とは全く次元が違うが、今年の市民200kmのレースでもいろいろな事があったらしい。このオーベストの店長さんは、うちのボスに良く似ている。きっと勝ち負けの前に勝手に体が動いたのだろう。結果勝てなかったが、確かにレースを作ったのはこの店長さんかもしれない。やはりほんものはすごいと思います)

そうこうしているうちに、また200km組の集団がやってきた。総勢30名ほどだろうか。130km組も3人ほど混ざっている。しかしここでタイミング良く(悪く?)普久川ダムの上りに入る。急速に集団がばらける。前に5人ほどが集団で先に行き、あとはバラバラ。私は前の5人と少し離れ6番手で上りだす。左側には、本当に苦しそうな人たちが必死になって上っている姿があちこちに…。声をかけながら、私もがんばって上る。(がんばっていたつもりだったが、あとからGPSを解析すると、1回目の同じ上りから6分も遅く、前日の試走のときよりも15秒ほど遅かった。しっかりと手を抜いていたらしい)

その後の高江までのアップダウンは、体はまだまだきつくなかったのだが、精神的にはかなりきつかった。なぜこんなことをやっているのだろう。本当にレースは楽しいのだろうか。このコースは、本当にきついコースだ。もう走りたくないなあ…等々と。

高江で時間切れとなり失格となったときに、悔しさもあったが、正直にいうとほっとした気持ちもあった。あ~これでやっと終われるなあという気持ち。

それだけに今となっては悔しい。今度来るときは、完走できるかどうかではなく、もう少し上の目標をもって必ず帰ってこよう。そう心に誓っています。

ありがとう沖縄!

さあ去年、今年と、ツールド千葉、ツールド北海道、ツールド沖縄と出場したので、来年はツールド能登出場で4大ツールだー!(違いますね…)

author:ほしの

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